2018/07/20

新月と満月。今日こそが人生。



























先週の金曜日の新月の日。
お義母さんがソラに帰りました。


癌が発見されて、8ヶ月。
あっという間の出来事。



普通は、痛み止めをうつと
普段温厚な人でも
気が立ってくる人が多いと聞いていた。

でもお母さんは全くの逆で

元気な時はとても気の強い人だったけれど
死期が近づいてくるにつれて、
どんどん穏やかに
まあるくまあるくなっていって

仏さまのようだなと思う時もあれば
少女のようにみえる時もあった。



もう話すのも難しくなってきて
起きている時間が少なくなってからも、

幸せだよ。ありがとう。と何度も伝えてくれた。



歩くことができなくなり
食べることができなくなって

話すことも困難で
排泄や、呼吸も自分の力だけでするのが難しくなり

たくさんのチューブにつながれたカラダ。


だんだんと、
自分でできることが少なくなってくる義母をみて

生きるってなんだろう
死とはなんだろうという問いが
わたしの中でぐるぐる巡っていた。



みんな生まれる時や環境を
自分で選んで生まれてくるという。


生まれてくることを選んでいるなら、
死もまた選んできてるのかな。


そんな気もするし、そうでない気もする。



ふと、出産は満月に多いということを思い出す。

もしかして、新月は死が多いのかな?
と思って調べてみたら、

潮の満ち引きと生死が関係があると出てきた。


出産は満潮の時に
死は干潮に。


母の息を引き取った時間を調べてみたら
ちょうど干潮の頃だった。


あんなにもたくさんのチューブにつながれて
自分の力で体を循環することができなくなっていたのに、
宇宙のリズムで旅立っていった義母。



帰り道、旦那さんとご飯を食べて帰ろうと思ったら
時間が中途半端でどこも開いてなくて、
開いていたお店にふらっと入ったら
スペイン料理のお店だった。


去年、母の病気が発覚して
私たちは予定していたスペイン旅行をキャンセルしたのだけど

キャンセルにしたことを気にしてた母が
ごめんね、これでも食べてって言ってくれてるような気がした。

















さて、わたしはわたしを生きよう。


このカラダを、丁寧に
めいいっぱい使いきりたいな。
















猫のように

自由に気ままに。

わたしのために
今を生きよう。